人は生きているうちにいろんな事に挑戦する。
生まれてきて、立つことから歩くこと。
学ぶこと、表現すること。
その中で「できること」と「できないこと」をだんだん自覚するようになる。
そして、いつの間にか自分の中に制限ができて「できること」の中で生活するようになるんだよね。
で、そこから今度は他人との比較が始まる。
自分ができないことをできる人を見て、羨んだり、妬んだり・・・
そして大半の人は自分の中で葛藤が起こって、ダメ出しをしたり、優劣をつけたりして、価値の値踏みをするようになる。
何を隠そう僕もそうでした。
あきらめることを受け入れることで始まることがある
その当時は「できないこと」をネガティブに捉えていて、できない自分を情けなく思ったり、必死に頑張るように鼓舞したり・・・今考えると随分自分をいじめていたように思います(_ _;)
でも、それが変わったのは大きな病気を患ってから。
大きな手術や不治の病が原因で、これまで当たり前にできていたことができなくなる。
ひどい時は寝込んだままで、起き上がることもままならない。
健康だった時に比べると行動可能なことが半分以下になった時に、いやおうでも制限ができた自分を受け入れるしかなくなったんですね。
でも、この清くあきらめることを受け入れたことで、より自分らしく生きられるようになりました。
自分の使命を見つける瞬間
以前、店頭販売業務の請負事業をしている僕は、スタッフを派遣するだけでなく、自らも現場に立って販売するということを行なってきました。
同時に企業での研修指導や集客販促コンサルティングも積極的に展開し、オンラインでセミナーやサロンも実施していました。
でも、今は持病や体力的な問題で現実的にそれらができなくなった。
そんな挫折の中、「この制限の中で一体自分には何が残されているんだろう?」と考えるようになりました。
その結果、会社の経営やチーム体制を考える以外は、店頭販売事業のネット集客と依頼商品の販売方法の考案だけに費やそうと決めたんです。
自問自答の末、他に誰もできない「本当に自分にしかできないこと」だけに絞ったんですね。
そうすると、不思議と自然にやりたい方向性もクリアになり、同時に将来の不安もなくなり、世界中で自分にしかできない企業体が浮かび上がってきて、一気にワクワクし出したのを今でも覚えています。
「死ぬ時に後悔しないためにも、本当にやりたいことは何だ?」
「できないことはもういい。まだやるべきことが残っているんじゃないか?」
「どうすれば制限の中でもまだ周りの人を喜ばせ、自分の主張を表現することができる?」・・・
そうやって、たどり着いた結果。
それは、大袈裟にいうなら自分の使命(REBORNの方向性、スタイル)を見つけることができた瞬間でした。
自分の価値を早く見つけるためのゲームなのかも?
生きていると誰でもにっちもさっちも行かなくなったり、挫折したりすることがあります。
そんなあきらめざるを得ない状況が訪れる時は、実は神様が自分に不必要なものを全て取り去って、本当に必要なものだけを残す作業をしてくれているんじゃないかと・・・最近、僕は思うんですよね。
自分の手の中にあるものを見つめなさい。そこに本当に大事なものがあると。
人はそれぞれ違った親の元に生まれ、さまざまな環境で生き、いろんな人に影響を受けているわけで、誰一人世の中で同じ人はいない。
だから、その人にしかできない事が必ずある。
それが、その人の価値なんですね。
それは万人を喜ばすものじゃないかもしれない。
でも、だからと言ってガッカリする必要はない。
目の前の人一人を喜ばすものでも、その人が喜べばその人がその周りの人を喜ばせるわけで、あなたがいなきゃ決して幸せの波は起こらないわけですから。
多分、世の中って、いいことも悪いことも、大きいことも小さいことも、そうやってできてるんだと思います。
だから、僕もあなたも波の発起人。パイオニアです^^
隣の芝生を羨ましがっても仕方ない。 所詮、それは他人の価値。
だから、羨ましがって見てるうちは、自分の本当の価値には気付けないんですよね。
だって、そこには自分の幸せは落ちてないですから。
成功する道はひとつじゃない。
成功する道は人の数だけあるということ。
それを教えてくれるのが、できないことによる「制限」だとすれば、「あきらめる」といこうことは一つの悟りだと思います。
ひょっとしたら、「もうダメだ」と思ってからが、人生のスタートなのかもしれませんね^^
一見、最悪だと思うことの裏にも必ず希望はあるもの。
いろんな事が起こっても、その時に見える小さな光が自分に大きな革命をもたらすことも忘れないようにしていきたいなと思います。