人間、誰しも苦手なことはある。
でも、人によってさまざまで、苦手なことでもある程度こなすことができたり、一定の成果を出す人もいる。
いわゆる、器用だと言われる人です。
器用な人って、得てして羨ましがられることが多い。
でも、それはあくまで文武両道を唱える教育制度のせいであって、実際は違うように思う。
僕が知る限り、社会で成功を収めるのは圧倒的に不器用な方のような気がするんですね。
プロフェッショナルは言い換えれば〇〇バカ
世の中で「プロ」と言われる人って、他の人より圧倒的にそのことに長けている。
プロ野球界は、全国の才能がある人が集まっている世界だし、プロのミュージシャンもアマチュアとは圧倒的な違いを持っています。
ただ、その反面、それ以外のことは全然ダメという人も少なくないんですね。
語弊を覚悟でいうと、いわゆる「〇〇バカ」であったりします。
当然それくらい一つのことに打ち込んでいないとプロにはなれないでしょうし、一つのことを愛し、全力でそれに取り組めることは凄いことなんですが・・・
裏返せば、決して何でもできるわけではないということです。
そう考えると、自分が達成したい夢があるなら、それに対して必要のないことは捨てる(諦める)ことも時には必要になってくるように思います。
時間は誰でも平等に24時間しかないわけだから、それを何にどう使うのか?
苦手なことも全部自分で対処するのか? 他人に任すのか?
そういった選択の方針は、その人の夢や目標への完成度や達成度の度合いを決める大きな要素になるような気がします。
脱常識は脱器用貧乏から始まる
学校生活で優等生になるように教育されてきた僕たちは、何でもそつなくこなす事ように勧められ、それができる人が高く評価されてきました。
そのため、意外と器用貧乏な人が多いように思います。
また、そういった世間の常識に沿った評価をもらいたく、大人になっても他人の意見や目を気にする人が少なくない・・・そんな気がするんですね。
でも、それでは商売でも独自性や創造的なものは浮かんでこない。
ありきたりなその他大勢と変わらないものだったり、表面的な言葉や形だけで魂を感じなかったりするものしか作れないんじゃないかと。
他人の意見や目を気にしていると流行りに流されたり、不必要な出費や付き合いをしたり、他人と離されないための勉強ばかり追い求めたりと、ややもするとどんどん目指してるところから離れていってしまっていたりする。
そして、気がついたら何十年も「他人の人生」を歩んでいたりするんですよね(怖い;)
人から面白いといってもらえる仕事は個性を活かした仕事
誰でもみんな一人一人、得意不得意はある。
それを補い合うことで社会は構成されている。
だから、自分の得意なところ(個性)を伸ばしていけばいいと思うんです。
器用(無個性)になる必要もない。
大体、人から面白いとか興味を持ってもらえる会社は、個性(得意なこと)を活かしています。
それも、できないことを追い求めようとせずに、できることの中で得意なことを突き詰めていった結果、世間から注目されるようになっているんです。
個人にも適材適所があれば、会社も社会の中で適材適所があるわけですね^^
脱常識=脱器用貧乏
どんな人にも良さがあるし、どんな会社にも、どんな商品にも良さがあります。
是非、そのいいところを追求して、全面に出していって欲しいなと思います。
一緒に頑張りましょう!